イチロー待望論

言葉が見つからないほどイチローは凄い。

そのことは紛れも無い事実で、いまさら私が書くようなことではない。割と最近のことだと思ったのだが、「○○界のイチローの出現を期待する」といった話が、どこかの委員会だかなんかであった、といったニュースを聞いた覚えがある。

ちょっと前まで(今でも無くは無いが)、こと IT 業界の話になると「日本のビル・ゲイツ」の待望論をよく耳にした。いずれも、「スーパー・スター待望論」である。

この手の話を聞くたびに、そういうことを真顔で言う人の知性を疑ってしまう。

イチローがどんなに凄い記録を打ち立てようとも、イチロー一人ではマリナーズは優勝できなかった。4番打者を集めても優勝できない球団がある。組織としての強さは、スーパー・スターがいるか、いないかではないことは、皆が知っているはずなのに、行き詰まるとすぐに「スーパー・スターの待望」という話になる。

ちょっと地味だが、日本ハムの小笠原も凄い選手である。しかし、小笠原が首位打者を獲っても、日本ハムは B クラスに甘んじていた。今年 A クラス入りし、プレーオフであそこまで盛り上がった立役者に SHINJO の存在を否定するひとはいないだろう。ずば抜けた成績を残しているわけではない。でも、チームとして必要不可欠な選手となった。

SHINJO はある意味、日本ハムのチームに欠けていたパーツだったのだと思う。組織として強くなろうと思ったら、そういった「欠けているパーツ」が何かを見極めるところから始めるべきではないだろうか。

しかし、世の企業、組織はみなこぞって、スーパー・スター探しに一所懸命である。実務でも高い能力を持ち、マネージメント力・交渉力があり、マーケットに対する視野も広い、そんなスーパー・スターを欲しがっている。もし、そんな人がいたら、とっくに自分で事業を起こしているだろう。

イチローを待望していたら、80 年ぐらいはだめだ、と言ってることに他ならないのだが...。