「増減」と「多少」

元はと言えばこの記事。

不況が自殺を増加させるのはなぜか:日経ビジネスオンライン

この記事について書いているブログ。

なぜ日本人は自殺するのか - Joe's Labo

これと同様のコメントが、元記事のはてブにもあるのだが、どうして「増減」と「多少」を同じレベル議論しようとするんだろう?

元記事は、失業率の「増加」が自殺率の「増加」につながっている、というのからスタートして、この2つに因果関係があるとして、自殺につながるまでの要因を探っている。

それなのに、「じゃぁ、日本より失業率が高い国は、もっと自殺率が高くなきゃいけないじゃないか。だから、この議論はおかしい」という。こっちは、失業率の「高さ」が、自殺率の「高さ」の間で因果関係の有無を問題にしている。

ブログの方ではフランスを例に挙げているが、元記事に反論するのであれば、

  • フランスもこの10年ほどの間に失業率が何パーセント上昇したが、自殺率は上昇していないのはなぜか

と反論すべきである。実際にフランスの失業率がどう変化していて、自殺率がどう変化しているかは分からない。が、反論したければ、上記のような数字を上げる必要がある。

そもそも、失業率の算出方法が、各国で微妙に違っているらしいので、フランスの 10% と日本の 5% で、数字から受ける印象と実感がどの程度合っているのかも分からないし、セーフティネットの厚さも、国民性も違うのだから、失業率と自殺率という「数字そのもの」を比較しても意味がない。元記事が指摘しているのは、あくまでも2つの数値に「増加」が連動している、と言っている。

で、元記事の方のはてブのコメントにも書いたが、「雇用不安指数」みたいな指標があれば、より、適切な比較ができるだろうと思う、同じ失業率でも、セーフティネットが充実していて、雇用の流動性が確保できていれば、雇用不安は大きくないだろう。逆に、まさに今の日本のように、失業率の数値自体は大きくなくても、セーフティネットが弱く、かつ、雇用の流動性が低い場合には、雇用不安は大きくなる。

まぁ、元記事も安易に失業率という指標を使っている感じがするが、それに対する反論として、「増減」の話を「多少」の話で反論するのは、ちょっと情けない。せっかくの反論なんだから、筋の通る反論をしないと、「著者のロジックが破綻」という前に、「反論のロジックが破綻」することになる。